もったいないの正体
2015/11/22

なんでもすぐ買える世の中です。100円ショップに行けばある程度の品物は手に入るようになりました。夜遅くまでスーパーはあいていて24時間コンビニも営業してます。またネットショッピングで好きなモノが買えてしまう世の中です。
小さい頃のかすかな記憶ですが、スーパーも日用品食料品しか売っておらず、夜も7時くらいで閉店していたように思います。たまに電車や車に乗って専門店や百貨店に行くのが楽しみでした。
「いつか使うかも」という商品が、比較的簡単に手に入ります。それでもそれを保持している理由はなんでしょうか?「いつか使う=モノへの愛情」ですか?それとも「モノが自分の手元にあることへの安心感」「多少の金額を支払ったので、使えないことへのもどかしさ」ですか?
金額に見合った働きをしてない(させてない)から処分できない
正直申し上げるとワタシはほとんど後者です。3年間一度も使っていないキッチン用品、奥にしまい込んだままのストーブ、ホコリをかぶってしまったカバン。使わないキッチン用品はこれからも使わないだろうし、ストーブはいつも使用しているヒーターで十分。カバンは他にもあるし…と考えると持っている理由がなくなってきます。使わないモノにスペースを取られてしまってます。でも捨てられないのは「お金を払って買った、その金額に見合った働きをしてもらってないから持っている」ということに他なりません。
うちにはなんでもあると思っていた幼少期
ごくごく普通の家庭に育ったワタシ。だけど「うちにはなんでもあるからね」といわれて育ってきました。今思うと、モノには不自由しないように、という母親の願いだったのかもしれません。だからなんでもあるのは当たり前のことと思っておりました。大人になり、モノがあったことへのありがたさがわかりました。しかし時代も変わりました。そして当時の、モノを所持することと目的がかわってきました。
うちにはなんでもあると思っていた幼少期
この仕事を始めて、モノを処分する意味を考えるようになりました。処分には勢いも必要な時がありますが、多くはじぶんが納得して不要だと判断したモノばかりです。最初はモノが少なくなることに不安すらありましたが、徐々に違和感を感じなくなっております。以前はスペースがあったら何かを埋めたがってたのに。整理の概念を知って、周りの環境を変えつつある自分自身に驚きもあり、また楽しんでもいます。モノがあれば安心だったあの頃。雑貨が大好きでくだらないモノが大好きで、それを他のヒトに見せて楽しんでもらうのがすきでした。今でもくだらないモノは大好きで、実は今でも見るとウズウズしますが、ウチに迎え入れることは相当少なくなりました。向き合えるモノを、使えるモノを選ぶようにしてます。また、代用できそうなモノはあえて買わないなど、増やさない意識もしつつあります。
シンプルな生活。ときどきくだらないモノ。あそびも少しは必要ですから。
ではでは。トトノエトトノウでした。