コラム

逃避から学んだ「聴くこと」

2018/08/08

逃避とは心理学で防衛機能の一つです。たとえば、宿題をやらなくてはいけないのに、周りの散らかっているモノたちが気になって、つい片付けを始めてしまうことです。面倒なことや向き合うことが困難な現実から目をそらし、別の意識に目を向けること。スッキリしたところで宿題に向かえばよいのですが、どんどん現実「逃避」をして宿題ができず…という状態になるわけです。
 

逃避は全て悪いことではない

ワタシがカウンセリングを志すきっかけのひとつは逃避から始まってます。

20代半ばで結婚し、翌年共同名義で新築のマンションを購入。実家にも駅にも近く、大変利便性の良い場所でした。約9年でその場を去る日まで、断続的に続いてたことがあります。それは上階の人の嫌がらせです。
 
今で言う、クレーマー体質の人。直接ウチに文句を言うことはほぼありませんでしたが、他の住人や管理会社とは、かなりトラブルを起こしていました。文句は言ってこなくても、間接的被害はなかなかのもの。朝や昼、ベランダから大声で怒鳴る、昼夜問わず壁をガンガン叩く、避難ハッチから水をこぼす
風呂場の窓から水を撒きちらす(しかも大量の髪の毛入り…)
 
2つ上の階のお宅や、ほかの住人にも助けられて闘ったり話し合ったり諦めたり…。軽い諍いで、何故かビンタを喰らったこともあります。話なんかしたって仕方がない。ずっとそう思ってました。怖くなって、帽子をかぶらないと外に出られなかったり、エレベータで緊張したりと、長年の精神的なダメージがかなりありました。ほぼ泣き寝入り状態のまま、売却という選択をしました。これが逃避です。金銭的にもなかなかの損が出ましたが、当時の私には逃げることしかできませんでした。
 
一時期は思い出すのもイヤでしたが、近年よく耳にするクレーマーの問題をみていると思い出します。あの時、どういう対応をしていればよかったのだろう?と。

 

置き換え

カウンセリングは「聴く」ことが仕事です。あくまで仮説ですが…その人に根気よく耳を傾けることができたなら。もしかしたら、もしかしたら…未だに快適にあの場所に住んでいたかもしれません。住み始めた当初は、家にあげてくれたり、機嫌のよい時はいろいろなモノをくれたり、過去の仕事の話やお子さんの自慢もするような人でした。今から考えるとその人も認められたかったのでしょう。
 
前述の心理学で防衛機能に置き換えというのもあります。
誰も話しかけてくれない、家にこもりっきり。やることもない。すると小さなことが気になります。やるせない思いがその人は怒鳴ったり壁を叩くことでしか「置き換え」られなかったのだと思うのです。
 
人の話を聴く。ただそれだけかもしれませんが、それで救われる人がいるのもまた事実。
話を聴くことで、もしその人が楽になるなら、たくさん聴きたい。そう思ってカウンセラーになりました。
 
周りに困っている人がいたら、こちらからは話さずにただ耳を傾ける。実は難しいことです。
ワタシの言い分もあるし、講釈も言いたくなる。でも、ここはじっと我慢です。
子どもでも大人でも、必ずその人の言いたいことがあります。
何もしてないのになぜか「ありがとう」と言われます。それは「聴いてくれたこと」への感謝なのです。
真摯に耳を傾ける。ぜひやってみてください。
 
ではでは。トトノエトトノウでした。

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